小さな空。白い部屋。

それは、もう帰るところのない人のための、真っ白なお部屋。そこから見える、小さな空。生きる勇気と、ささやかな幸せのために。

多くの人がシンプルに幸せだった時代

昨日は、とある会社の社長さんの話を聴く機会があった。設立年を見て、「ああ、この会社も戦後の自由から生まれた、志の高い会社だったんだな」とすぐに思った。SONYやHONDAのような、戦後生まれの勢いのある、挑戦的な時代の会社。いまは遠い昔の高度成長時代の、みんなが貧しくてもより豊かな未来を目指して、昼夜を問わず、汗水流して働いていた時代の、社会の中で育った会社。何かの本で読んだことがある。「あの頃は官僚も、学者もみんなもっと世の中をよくしようという意気込みがあった。いまはもうその活気はない」

敗戦の何もない時代から高度成長までの時代、日本人は一番がんばって、そして幸せだったんだろうと思う。いまの物質的な豊かさの基盤を作ってくれたのは、戦後に立ち上がった人たちだ。私はいつも、この時代の、志高かった社会・人々を尊敬している。

いま、私たちは幸せだろうか?1990年代には日本はなにをやってもうまくいかなかった。その間に海外は日本の技術を確実にものにしていき、日本の優位性、独自性は徐々にリスペクトされなくなる。代わりに、海外流の経営手法、技術がもてはやされた。グローバルスタンダード、株主利益の追求、成果主義MBA...。The Internet(いまはTheはつかないですね)。

アングロ・サクソンの人たちは仕組みを作り、標準化し、デファクト・スタンダードを握るのが得意だった。日本はガラパゴス化して徐々に、こうした標準や技術の輸入国になってしまっていた。結果、多様化と言えば聞こえはいいが、人々の働き方は変わっていった。

モノが飽和した時代。以前のように、洗濯機を作った!洗濯機を買った!というシンプルな喜びはなかなか得難い。しかし学校を卒業したらいい会社に就職し、、という部分だけはなぜか残ってしまってるので、とりあえず会社か役所に入る。入れないとニートと言われ、冷ややかな視線を浴びる。みんなが一定水準の生活を維持しているから、一発起業して、新しいことをやろう!といっても、また周りから水をさされる。そんなことしないで「安定した生活を」という意見は決して少なくないと思う。結局会社に入る。何のために?わからないので言われたことをやる。怒られないように、ミスしないように、上司先輩に好かれるように。怒られると辞めてしまう。高度成長時代の活気や熱意はどこにいったのだろうか?

中には志高い経営者が、それこそ昼夜をいとわず働いて、会社を大きくすることもある。しかし、高度成長の時代のようにはみんなはついてきてくれない。代わりに「ブラック企業」と言われるようになる。

中にはこんな時代を「楽しんでる」人たちもいる。ノマドワーカー、Youtuber..ネットの普及で、昔なら不可能だった働き方、儲け方、暮らし方ができるようになった。雪に閉ざされるようなところでない限り、ネットでワンクリックすれば数日のうちには必要なものが届く「便利」な時代だ。ネットのおかげで世界中の人とも交流できる。

しかしそんな「便利」な時代を「楽しんでる」人は少数派だと思う。大半の人は、なんとなくオフィスに缶詰めになり、志もなく、ただ働かされ、家に帰ってお笑いバラエティを見て、昼間の悪夢を忘れる生活を繰り返しているのではないだろうか?そこに「幸せ」は存在するのだろうか?

いろんなものの見方が存在する時代である。いろんな幸せの形があっていいと思う。でも、私は、高度成長時代のような、シンプルに頑張って、シンプルにその結果をみんなで分かち合う時代・社会はよかっただろうなぁ。。と、昨日の社長さんのスライドをチラチラ見ながら久々にこんなこと考えてました。

いじょ。